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全国ご当地ラーメン

Gotouchi Raumen

徳島ラーメン

概要

人口:?万人/軒数:?軒

「20世紀最後のご当地ラーメン」として1998年にラーメン博物館が全国に紹介した。人口当たりのラーメン店は和歌山より多く、そのレベルもかなりの物がある。大きく分けて三系統のスープがあり、色分けで「黒白黄色」とも提唱した。麺はストレートの中細麺で、柔らかく仕上げられている。全体的なボリュームのせいで、長さが短めなのも特徴。具で特徴的なのはチャーシューの替わりに入るバラ肉をタレで濃厚な味付けで煮込んだ物。また卵を入れる場合は生卵を落とすのも大きな特徴。

戦後すぐに濃厚な豚骨ラーメンが発生したが、これは当時日本ハムの前身・徳島ハムの工場が徳島にあり、安価な豚骨が大量に出回ったから。また、徳島ラーメンのルーツと見做される小松島では今でも白いスープが主流。

切り歯 加水率(%) 一玉の分量(g) 形状 断面
20~24 27~32 120~140 ストレート
スープ 白:さらりとして甘味のある豚骨スープ。九州の豚骨とも関東豚骨とも異なる独自の味。
黒:白に濃い口醤油のタレを加えた物。現在、徳島の主流になりつつあるスタイル
黄:全国的によく見られる、中華料理店スタイルの澄んだ中華そば。
ネギ、メンマ、モヤシ、生卵、豚バラ肉甘辛煮。チャーシューの替わりに乗るバラ煮が最大の特徴。細モヤシ、生卵も珍しい。メンマの替わりにタケノコを使う店もある。

地元の主な店:いのたに、春陽軒、広東、カサイ、洞月
首都圏の店 :うだつ食堂、徳福
ラー博出店 :いのたに

詳細

「黒・白・黄色」の、質、量共に充実のラーメン処
三種類に大別されるラーメンスープ

 だいたいに於いて、「ご当地」と言われる地域のラーメンには、まず麺に大きな特色がある。更にそれらの麺に合わせてスープの特徴が形成されるが、そのスープはたいていの場合一種類、多くても二種類が主流となる場合がほとんどだ。ところが、徳島の場合はおおまかに分けて三種類のスープが併存している。

 一般的な清湯をベースとした中華風の「黄」、白濁のトンコツスープを薄口醤油で味付けをした「白」、そして、同じく白濁スープに濃い口醤油の味付けを施した「黒」である。三種類それぞれに特徴があるが、中でも「黒」は他地域にあまり見られない特徴的な味である上、新横浜ラーメン博物館が「黒」の代表的な有名店「いのたに」を紹介した事もあって、現在「徳島ラーメン」と言うとこの「黒」を指し示す場合が少なくない。

 麺は、それぞれのスープで共通する、縮れの少ない短め柔らかめの麺。具ではメンマと細モヤシ。また、チャーシューではなく豚のバラ肉を甘辛く煮た物を乗せる店が多い。特徴的なのは玉子で、ほとんどの店で「玉子」と言うと生玉子がトッピングされてくる。生玉子が標準的なのは、徳島以外では宮崎、あと京都の一部程度である。全体的に甘辛目の味付けが主流で、スープの黒色、生卵、バラ肉煮付けの特徴から「すき焼きのようなラーメン」と表現する人もいる。

徳島ラーメンのルーツは「小松島」

 徳島県でのラーメン店は、戦後の屋台から始まる。当時、関西との往来は、徳島市から鉄道で20分程の小松島港からの客船が使われていた。当然人の行き来も多く、また闇市も立っていた。そんな小松島で、二木弘(ひろむ)氏が、徳島中華そばの原点のようだ。

 二木氏は昭和24年頃から小松島で屋台を引き始めた。その時、一緒に屋台をやったのが、現在でも小松島の老舗として知られる「カサイ」の初代ご主人である。その味は、現在とほぼ同じ白濁トンコツスープのいわゆる「白」だったが、当時は練炭でじっくり炊き出していた為か、今のスープよりももっとコッテリしていたとも言われる。その後氏の味に影響を受けた岡本中華、松本、洞月など、今でも小松島の有名店として名を連ねる各店が屋台を始めた。

 小松島中華が、いつどのようにして徳島市に渡ったかは明確な証言は無い。しかし、小松島の屋台が始まった昭和23~24年頃には徳島市には屋台も無く、その後数年してから小松島と同じスタイルの白濁スープの屋台が出始めている事、当時は徳島市と小松島市との間では非常に盛んな人の往来があった事などから、小松島中華がそのまま徳島市に広まり、やはり「白」の土台となった事は、想像に難くない。

 徳島市の最初のラーメンは、どちらかと言うと「黄」だったようだが、この「黄」のスタイルが広まり定着する前に小松島から「白」が流れ込んできたらしい。老舗である「八万屋」「多良福屋」がいずれも昭和25~27年頃から中華風ベースの「黄」のラーメンを出し始めていて、一方「銀座一福」「よあけ」がほぼ同時期に「白」のラーメンを出し始めている。ただし、より広く一般に浸透したのは「白」だった。昭和20年代後半から徳島駅前に数多くの中華そばの屋台が存在したが、それらの屋台は軒並み「白」だった。

 徳島中華そばが何故トンコツ白湯スープが主流になったのか。それは、現在の日本ハムの前身である「徳島ハム」の工場が徳島にあり、大量のトンコツ、豚ガラが安価で供給されていた為だ。当時徳島ハムに勤務していたK氏によると、小松島市の「岡本中華」まで、自分が豚ガラを自転車で運んでいたと言う。

「黒」の隆盛

 現在、徳島ラーメンの中でも主流と言える「黒」のスタイルが発生したのは昭和30年代の末ごろ。このスタイルの老舗である「広東」「いのたに」でほぼ同時期に提供し始めたらしいが、どちらが先か、明確には分かっていない。また「肉」「玉子」についてもこの両店が初めて人気を呼んだ。最近では「白」のラーメン店でも「肉」「玉子」のスタイルは多いが、これは「黒」系からの逆輸入であるようだ。

 もともとうどん文化が強力な四国地方だけあり、徳島市も戦後すぐは圧倒的にうどん店の方が多かった。ところが徐々にラーメン店の数が増え、平成元年を境に件数が逆転している。この間、徳島市の人口と、うどん店とラーメン店の合計はほとんど変化していない。つまり、徳島市民の麺に対する嗜好がうどんからラーメンにシフトしていった訳で、なかなか興味深い現象だ。「黒」のスープが昭和40年代から平成にかけて飛躍的に店舗を延ばしていった時期とも一致していて、いかにこの傾向のラーメンが市民の嗜好に合ったものだったかを証明していると言えよう。

今後の展望

 ラー博が「いのたに」誘致の為に徳島を調査したのは、1998年~1999年が主だが、その後も徳島には個性的な新店が増えて来ている。全国19ご当地と言っても、過去に生まれた特徴的なスタイルがヒットし、それを維持している地域がほとんどだ。その中にあって、スタイルにバラエティがあり、現在も新店が誕生しつづけている徳島は、全国でも有数のラーメン処と言っても過言ではない。札幌などと並び、今後の動向も注目すべき地域だと言えよう。